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お墓について。 [雑感]

思いがけないことになってしまいました。
実家のお墓は先祖代々のお寺さんにあります。
実家は戦前まで料亭を営み、長男は家業を嫌い家を出て
長女である母が家業を継いでいました。
戦争で家業は廃業し、実家は長男が死亡した後その家族が
継承権を主張、母は争いを避けて家の権利を渡して小さな家に
移り住みました。
家はすぐに売りに出され、その家族とは疎遠に・・・
私が小学生の時でした。
それでも母はお墓はしっかり守っていました。
その後両親が亡くなり長男である兄が引き継ぎましたが兄は
仕事で遠く離れた関西暮らし、何かと大変だったと思います。
途中お寺さんの住職も子供がいないことから別の住職になり
家とお寺さんのつながりも希薄になって・・・
母の33回忌のことで兄夫婦はとても嫌なことを言われてから
自分たちはここには入りたくないと。
今年3月急に兄が病気で亡くなって一人残された兄嫁さんはとても
悩んだと思います。
本当は生前にこのことをしっかり話し合えれば良かったのですが
今となっては仕方ないことですね。
どうしてもお寺さんに入れたくないと、葬儀は住まいの近くの葬儀社で済ませて
これからどうするのかみんなで話し合わないとね・・・という状態でした。
姉たちも高齢になりすぐに集まれる環境ではなく日が過ぎていました。
そんな先日お寺さんから毎年払っている塔婆料の請求が来たとか。
兄嫁は自分の名前で振り込んだところお寺さんからどういうことかと
責められ、事の次第を話したそうです。
お寺さんは激怒、数日後お寺さんに呼び出されてかなり厳しい口調で
離檀の話を持ち出されたようです。
どうしたらよいのかと姉に相談があって・・・それから心労の日々です。
兄嫁さんも体が弱く、この結果は私たち姉妹も受け止めて
みんなで出し合ってお墓の問題を解決しなければなりません。
まず、離檀に際しての料金をお寺さんから請求されました。
先祖代々のお骨が入っていますから1体いくらと細かく・・・
お骨を取り出す際の祈祷、お墓の解体、離檀料などと・・・
しかもお骨は行き場がなくなってしまうので新たに入る場所を探さないと。
なんだかとても複雑なことになってしまいました。
前の住職さんは穏やかな人で母もしっかり檀家としての務めを果たしていました。
住職さんが替わってからは兄が関西に住んでいることもあってお寺さんとの付き合いも
希薄になってしまったのかもしれません。
かなり高圧的な態度だったと聞いています。
なので兄嫁さんの気持ちを考えると・・・
いまさらですがお墓を守るということがいかに大変なことかと
思い知りました。
兄たちに子供がいないのでいずれこんな話にならざるを得なかったと
思いますが、お寺さんといい話し合いができたら良かったな~と。
これからどうなっていくのかわかりません。
いずれそれぞれの夫も含めてみんなで話し合う必要がありそうです。
いい解決方法があるといいのですが・・・
今年も息子家族と一緒にお墓参りをする予定でいます。
私の実家のお墓参りはしていいものやら、お寺さんに行くのも気が重く( ;∀;)
まだ決まったわけではないのでお花を供えたりぐらいはできると思うのですが
なんとも悲しいことになってしまいました。
私たちは15年ぐらい前に市民墓地を買っています。
ここは私たち夫婦だけが入るお墓、息子たちが面倒見れなくなったら市に返納し
新たな家の墓地になるようですね。
こんな方式が楽でいいかな~と少しホッと(^-^)。




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月下美人 [雑感]

我が家の月下美人、今年もたくさんのつぼみをつけ
あと数日で満開になりそうです。
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昨年は咲き始めた時期は息子宅へ行ってましたので
きれいな花を皆さんに見てもらうために外に出して
出かけました。
先月購読新聞社から送られてきた種を蒔いていたら芽が出て花を咲かせました。
四つ葉のクローバーです。
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例年、息子たち家族がお嫁さんのご両親と旅行へ、今年も夏休み旅行。
いつものようにチョコちゃんを見るために息子宅へ行く
予定でしたが、私の通院日が入ってしまうので自宅で
預かることに・・・
なので連れてくる日と迎えに来る日は休日になるので
計2週間預かります。
チョコちゃんはお散歩が大嫌い(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
部屋で静かに過ごしています。
最初は慣れない部屋で戸惑っている様子でしたが少し
慣れてきました。ε-(´∀`*)ホッ
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ただあまりワンちゃん用のご飯を食べてくれません。
甘やかすわけにはいかないので心を鬼にして・・・
日頃は窓を開けて過ごしている私たちですがチョコちゃんのために
エアコンをつけています。
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ワンちゃんを預かっていると頻繁に外に出られませんね。
息子は大丈夫だよ、出かけても寝ているからと言いますが
家族がいないのを感じるのか、私のそばにべったり( ;∀;)
無事に家族のもとに返せますように。

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ご報告・・・ドアのこと [雑感]

2回にわたって記事にしたドアの蝶番の取り換えに関しては
ブロガーの皆さんからたくさんのアドバイスをいただきました。
それらすべてを試したもののネジ穴をつぶしてしまってどうにも
ならなくなりお手上げ・・・と書きました
そんな私に心配して何度かコメントをくださったり(涙)
昨日、久しぶりの休日に息子夫婦が訪問してくれました。
ドアの修繕をやるつもりでMY工具を持ってきたと早速取り掛かって
しばし格闘していました。
「待っていればやるといったのにな~」
家庭用のドライバーをただやみくもに使えばいいんじゃないんだと(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
見ていたらアドバイスをくださった人たちのやり方をしていました。
深く反省です。
何とかできるかと手を出して傷を深くしてしまったようです。
マイナスドライバー、トンカチ、ペンチなどを使って無事、古い蝶番が取れました(^_-)-☆
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買ってきた新しい蝶番を取り付けるのも技がいるようで・・・
一人でドアを持ち上げながらネジを取り付けて・・・
古いドアなのでそれも手入れをしてもらって何とか取り付けてくれました。
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しっかりと鍵もかかるようになったのは感激しましたね~。
すっかりあきらめていたのでなんとも嬉しかったです。
一番の教訓は手に負えないと思ったらそこで中止することだと・・・
やればやるほど傷を深くするのですね。
改めて皆さんのアドバイスに感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にお騒がせしてしまいました、そしてありがとうございました。
でもいろいろ勉強になって、またDIYへの気持ちを駆り立てられた
出来事でもありました。(^^♪



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うぅ~ん、どうしよう!! [雑感]

やっとリフォームも終わりきれいになった部屋で
気持ちよく過ごしています。
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リフォーム後、気になる場所を色々と手をかけていました。
網戸を新しくしたのは数年前でしたがサッシに取り付けて
動く仕組みなのにその金具が弱くて外れてしまって
うまく動かなくなっていたのです。
それでL字型のものを3組分買ってきて協力な接着剤を使って
2つをコの字型にして溝を作り網戸の上下に取り付けました。
これは大成功でスイスイと網戸が動くようになったのです。
それと最近トイレのドアのかぎがかからなくなってしまって
普段はいいのですが孫たちが泊まりに来たときに困っていました。
業者さんが来ているときに見てもらえばよかったけど・・・
良く調べたらドアの蝶番の金具のパッキンが経年老化していて
すり減っているのです。
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これが原因で鍵がかからなくなっていると息子がいい直してあげると
言われたので同じ蝶番を探して2つ買ってきました。
私たちにできそうかなと息子の休みを待たず挑戦!!
そしたら古い蝶番を止めているネジ穴が古くてドライバーが空回り(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
ホームズに行って相談したらとりあえずネジの穴に回りやすくする液をつけて
やってみて下さいとのこと。
回らないネジ穴も外せますと書いてあるドライバーも買ってきて試してみたのですが
16個のネジ穴のうち2つがどうにも反応がありません。
もう一度ホームズに行って相談したのですが、最後の手段は無理にネジを取り外して
そこに木を埋め込んで新たなネジ穴を作るきりやり方はないと・・・
困ってしまいました(´・ω・`)
これは私たちの手に負えないかもしれませんね~!!
リフォームをしてもらった業者さんに相談するきりないかも。
住宅も古くなるとあちこち痛んでくるものですね~
ネットで調べても同じ方法で3つの方法が載っていました。
夏休みに入る前に直しておきたいし、どうしよう!!


リフォーム・途中経過 [雑感]

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リフォームが始まって早5日目ですが、一番大変な工事
床下の配管が終わりました。
この工事は見ていても大変なことだと実感しました。
建物を作ったときは将来こんな工事が必要だという設定で
作られていないようで、工事ができるようにするのにかなりの時間を要しました。
その間、水は止められトイレはもちろん使えません。
管理事務所のトイレを使用できますができるだけ水分を控えたり
近所の公園を利用したり買い物途中にトイレを借りて過ごしました。
廊下がすごいことになっているので外に出るのも気を使って
リビングだけで過ごす3日間でした。
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やっと終了したと思ったらシャワーのお湯が出なかったり洗濯機の
蛇口から水漏れがしたり・・・大丈夫かな~(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
床下は開けてみないとどうなっているのかわからないそうで苦労
していましたね~。(ご苦労さま!)
少し間をあけて来週にエアコン用の電源をブレーカーから取って
床下に這わせる工事と床を仕上げるそうです。
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リフォームって気遣いもするし生活が大変だし、業者さんとの
話し合いなどで大変だし、何よりもお金がかかりますよね。
もうやりたくないな~
今までの工事は大変だった割に何も表立って変化がありません。
ただ水道屋さんの話からやはり給水管はかなり痛んでいたようで
水漏れもちょっとだけあったようです。
いい時期に工事を決断してよかったのだと思っています。
片づけた生活用品は部屋にそのままで生活をするのは寛ぎませんが
あと少しの辛抱ですよね。
頑張りま~す!!
予定外の工事が入ったり使う床材が管理組合の指定のものでないと
いけないそうで、高い床材に変更・・・費用も心配です。
我が家は1階、業者さんもどうしてだろうって言ってましたが
決まりでは従うきりありませんよね。


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いよいよリフォームが始まります。 [雑感]

我がマンションは入居38年目に入りました。
古くなったのでそれぞれリフォームをされていてわが家も水回りなど
ほとんど済ませていましたが、給水管の取り換え工事だけが残っていて
中々決断できませんでした。
上の階の人たちは水漏れになっては下に迷惑がかかると
半分ぐらいの居室が工事を済ませていて、できるだけ早い時期に工事を
してほしいと管理組合からの要望もありました。
1階だと下には迷惑をかけることはありませんがかなり年数が
立っているのでいつ水漏れするか分からない状況です。
実際に水漏れがあったと何回も聞いています。
2年前から申請して落選していた市の助成制度が今年からなくなってしまい
急遽やることにしました。
業者さんの都合がつかず今まで待ちましたがやっと明日から始まります。
でも大変な工事なんですね~。
キッチン、お風呂、トイレ、洗面台、洗濯機の給水管の取り換えと
その工事をするために床をはがして北の和室の畳の下を通すとの事
聞いているだけで大変だな~と(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
それぞれの部屋の荷物も片付けなければなりません。
それに数日かかり、その後剥がした床の張り替えをします。
それに2代目のエアコンを入れるために新しく法律が変わったとかで
エアコン専用のコンセントを床の下に這わせる工事もやらないといけません。
費用もさることながらその間の生活の不便さとストレスを考えると少し憂鬱に
なりますね~。
明日から頑張らないといけませんね。
夫も仕事の無い日はいてくれますので心強いです。
事前に壁紙張り替えを済ませていますので少しは節約できましたが・・・
あまり体を無理しないで何とか7~10日間頑張ろうと思います。
部屋のドアや扉も替えたい希望がありますが予算もありますので今回は
主たる工事は床下の給水管取り替えと床の張り替えになります。
とにかく早く無事に終わりますように・・・

治療が終わりました~!! [雑感]

3月から取り組んでいたC型肝炎の最新治療が5月25日で終了しました。
そして診察日でもありましたので朝一で病院へ・・・
凄いですよね~、7時40分ごろ到着したのに整理番号は81番でした。
8時の受付を済ませ血液検査をしてあとは9時からの診察を待つばかり。
この日は2番目に呼んでもらえました。
Dr お変わりありませんか?
私 はい、今日で薬が終了しました。
Dr そうですね、お疲れ様でした、検査の数値も問題ありませんよ!ニコニコ
私 よかった~、うれしいです。
Dr ウイルスは消えましたがこれから毎月1度通院して血液検査を受けてくださいね。
  6か月ケンシュツセズが続いたらそれで寛解ですが、それ以降も経過観察は
  させてください。
つまりウイルスはいなくなっても数十年体の中に潜んでいたので
肝臓がんを引き起こすことがあるので経過観察が必要なのですね。
患者の気持ちを慮ってくださるのでストレートの言い方はされません。
とにかく大きな山を乗り越えた思いで一杯でしたホッ!(^^)!
100パーセント治癒率と言われていましたがやはり数パーセントの人は再発するそうです。
これからは風邪を引いたり病気になっても安心して薬を飲めます。(ならないように気をつけないと)
ありがとうございましたと感謝を伝えて・・・家に戻りました。
引き続き乾杯のお酒は自粛ですがこの日は夫と二人でゆっくりと京急ホテルのスパッソへ
行ってきました。
海を目の前に爽やかな潮風を体に感じながら露天風呂に入りしみじみと安ど感に浸りました。
私にとっては一つの病気が心配無くなるだけですがそれでも気持ちはかなり楽に
なりましたね。
私に寄り添って夫はビールを控えてくれていたのですが良かったね~としみじみ
3か月前製薬会社から送られてきたカレンダーとシールです。
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シールは家のカレンダーに貼って・・・

飲み忘れると耐性が出来て薬が効きにくくなるので飲み忘れはダメだと主治医からも
何度も言われていました。
同じ時間に毎日飲む・・・簡単そうで意外と緊張を強いられましたね。
送られてきたカレンダーに飲み終わると赤〇を書き込みました。
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途中兄のことで故郷に2回出かけましたがそんな時も何があっても困らないようにと
大切な薬は余分に持って出かけました。
2週間ごとに送られてきたハガキです。
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東海道53次にちなんで服薬道84次達成京
はじまり橋   お薬を決められた時間に欠かさず飲み続けましょう
ひとつめ山   治療を開始した大切な時期です、しっかり・・・
順風湾      治療の旅4週目です、決められた通りに飲み続けて・・・
はんぶん茶屋 治療も半ば、休まずに続けて
こらえ山     治療の旅の難所、疲れる時ですが頑張りどきです。
目前湖      残すところあと2週、目的地が近づいてきました頑張って
達成京      治療終了です、達成感を味わっていますか、お疲れ様でした。
なんでもないハガキですが後ろから背中を押された思いでした。
そして1錠8万円のハーボ二―配合錠の入ったボトル3つ、4月~は政府のルールで薬代は
1錠6万円になりましたがそれでも高価な薬でした。
(自治体や健康保険組合の助成事前申請で私の場合は3万円の負担で済みましたが・・・)
今の気持ちは無事終了してよかった~と心から思っています。
助成制度に助けられたことを有難いことだと感謝の気持ちで一杯です。

心穏やかに。 [雑感]

兄の急変、そして逝去、数日後のお葬式と目まぐるしい日々でしたが
桜の花も数輪ですが開花して・・・少しずつ落ち着いた日常を過ごしています。
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葬儀は行けませんでしたが代わりに出席してくれた夫の話しから
兄は2年前に最後は穏やかに自然に自分らしく最後を迎えることを
選んだようです。
それで在宅での療養だったのですね。
トイレもお風呂も出来る限りは自力で済ませたようですが最後は立ち上がれなくなり
これが限界と病院に入れたとは駆けつけた時聞いていましたがそれまでの
義姉の辛かった心情も法要の場で涙ながらに話されたそうです。
義姉は私以上に言葉少なく思いを自分の胸に秘めてしまう人、
我慢強い人とはいえどんなに辛かったことでしょうね。
四十九日は何とか体調を保って是非出かけたいと願っています。
これから一人の生活をする義姉、日頃から食事も細く痩せていて
健康面も心配ですが近くの姉が何かとフォローしているようなので
少し安心ではいます。

そして私の治療も3週目を過ぎました。
兄の訃報という哀しみと、2年前私の心を砕いたある出来事が時折よみがえっては
私を苦しめます。。
そんな時に私の病状が悪化するのを実感し、人間にとって哀しみ、怒りが
どれだけ心身の体調を左右してしまうものかと痛感しています。
毎週の通院時に血液検査を受けるのですがストレスがあったりすると数値で
出ることがありますね~、気をつけたいです。
何よりも心を穏やかに過ごさなければならないと自分に言い聞かせています。
せっかく高額の薬を使って治療をしているのに病状悪化で中止になってしまう
事だけは避けなければなりません。
来週の検査でウイルス検査をしてこの薬の効果がある程度分かるようです。
最終的には12週間後に長いこと私の体に居座っていたウイルスを
取り除ければ完治ということになるのでしっかりと取り組んでいくつもりです。

そんな合間でしたが先週息子一家が来宅しました。
来た日はあいにくの雨でしたが夕方から雨も上がったのでクッキーを連れて
海辺に散策に・・・
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喜んで走り回っているクッキーでした。
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夕食は息子手作りの豪華版
美味しかったですね~。
近くに住む息子夫婦も呼んでみんなで乾杯!!
私は禁酒なので孫と二人ジュースでしたが・・・みんなのお酒の飲み過ぎがちょっぴり心配です。
翌日はいちご狩りに出かけたのですが朝一にほとんどの人は来るそうで11時過ぎていた
私たちに農家さんは朝早く来ないと何にもないよと(ー_ー)!!
今度来るときは朝一で来ようねと孫と約束して帰りに「すかなごっそ」に寄ったり
昼食を「鳥ぎん」さんで食べて満足して帰って行きました。
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急変 [雑感]

前記事で3・11の震災のことを書きました、、そして兄のことにも触れました。
その日の夕方でした。
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職場にいる夫から[電話]が掛かってきました。
「今埼玉の〇〇恵さん(私の姉)から私に[電話]があって〇〇さんの様態が
急変した、でもあなたには知らせないでと言われたけどそうもいかないだろうと
思ったので[電話]をした」のだと。
これから二人で病院に駆けつけようという[電話]でした。
それからあわてて家の中を見まわってバックに必要な荷物を詰めて
夫と待ち合わせをした品川へと・・・家を出ました。
大事な薬とお金とちょっとの着替えを入れて出ましたがなにを入れたらよいのか
動揺して頭が回りませんでした。
少し体調が悪かったのですがそんなこと言ってられません。
電車に乗って~姉に「これから行きます」とメールを入れたら
折り返し「少し前に亡くなった」のメールが入って。
姉たちも間に合わなかったそうです。
今日はとりあえず来なくていいかもと言われましたがこのまま行くことにしました。
たまたま退社時間後の時間帯です、品川~大変な混み方でした。
夫と連れ立って京浜東北、高崎線と乗り継いで行きましたが途中から
立っていられないほど具合が悪くなってしまいました。
心労、ストレスが体にいかに影響を及ぼすか痛感していましたがとにかく
病院へ行くことだけで必死でした。
途中何度もメールをしあい「病院を8時に出発することになった」というメールに間に合うかと
ヒヤヒヤしながら…下車駅に着いたのが7時40分でした。
駅には姉と姪っ子が車で迎えに来てくれたので何とか間に合いました。

まだ病室のベッドに横たわっていた兄の顔を見るなり・・・号泣してしまいました。
既に姉や義兄たちが集まっていて「間に合ってよかったね」と声をかけてもらいました。
そのまま霊柩車で斎場へ向かうことになり、3台の車列で・・・
途中、義姉から昨日は帰りにはまた明日ねって元気に別れたのよ、今日もお寿司を少し食べて
でもそれが最後で急変して、こんなに急にとは思っていなかったと聞きました。
そんなことで義姉もどうしてよいか分からないと・・・とりあえず地元の姉が積立をしていた
斎場へ[電話]を入れ受け入れてもらったそうです。
斎場では遅いので細かいことは翌朝話し合うことになりいったん家族は帰ることに。
それぞれ姉から家に泊まるようにと誘いもありましたが私たち夫婦は墓参の時いつも宿泊
しているホテルに予約を入れましたので、遅い夕食を食べてから姪の車で
熊谷のホテルまで乗せてもらい落ち着いたのが12時前でした。
お風呂に入ってベッドに入っても気持ちが高ぶっていて中々寝付けません。
自己免疫疾疾患はストレスを感じると症状が悪化してしまうのです。
動悸が凄いのは興奮しているからだと思いながらとにかく体調が悪くなって全身が
いつもの様子ではなくなり、もしかしたら病院のお世話になってしまうのかと心配でした。
こんな時のために頂いている薬(睡眠薬は禁忌の薬なのでかゆみ止め)を飲んで
寝ましたが中々寝付けません。
いつも泊まるスイートルームが一つ空いていたのでそこに泊まりましたが
隣りの夫も中々寝付けないようでした。
夫が手を握っていてくれたので少し安心できたのか、いつしか眠りに。
朝、姉から[電話]があり斎場とお寺さんの都合でお葬式は数日後になりそうだと聞き
とりあえず私たちはいったん帰ることになりました。
間に合わなかったのは残念でしたが、穏やかな顔でベッドに横たわっている兄を
見ることが出来たので気持ちも少し和んで。
帰りは夫と一緒だし、途中座ることが出来たので少し楽になり何とか家に辿り着きました。
その日は家でゆっくりして6時過ぎには二人とも寝てしまいました。
びっくりするくらい寝ていたようで・・今朝6時に目覚めて早速[電話]を入れたら葬儀の日にちが
きまったと聞かされました。
たまたま私の通院の日でどうしようか迷いましたが姉も無理しないでいいと、それに夫が
代表して行ってくると言ってくれました。
私の通院に付き添うため休みを取っていたのです。
長男も出たいと言いましたが夏にまたお墓詣りに出かける時にでも行こうと話し合って納得。
わが実家のお墓は実はただ一人の男である兄が後継者で、兄夫婦には子供がいませんでした。
でもいつも二人で寄り添って仲のいい夫婦でした。
義姉もお墓を引き継ぎたくないとの意思があって兄も実家のお墓には入らないのだそうです。
二人でいろいろ話し合っていたのでしょう。
離檀も含めお寺さんのことは改めて話し合うことにしました。
私たち姉妹は一人残された義姉にとって楽な方法が一番と考えているのでその気持ちを
尊重したいと思っています。
我が実家のお墓は昔料亭をしていたのでいろいろな人の遺骨が入っていますがお寺もいろいろ
難しい問題があって簡単には解決しなそうですが・・・
兄・・・享年71才でした。
奇しくも3・11が命日になってしまいました。


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5回目の3・11 [雑感]

5回目の震災の日がやってきました。
この間にどれだけの変化があったのでしょうか!
どの局も地元~の中継ですね。
各地の様子、とりわけどれだけ復興が進んでいるのか
知りたいと朝から見ています。
少しずつ進んでいる街、まだそのままになっている場所、
福島はまだいろんな課題を背負っているようですね。
行方不明者もまだたくさんいるとの事でした。
避難生活を送られている人たちが何よりも安心して
暮らせる場所が出来ることが待たれますね。
今日は東北の人たちのことを思って過ごしたいと・・・
今の私に出来るせめてもの思いです。

治療(ハーボ二―配合錠)開始1週目が過ぎました。
最初喉が痛くなって声が出にくくなったので風邪かと
思っていましたがどうやら薬の副作用の様子。
1回目の診察で主治医から様子を見て行きましょうと
言われました。
「でもインフルエンザには気を付けてくださいね」
「ただし出来るだけ日常の生活をおくってください」とも。
血液検査の結果は順調との事でした。
兄のことも気になります。
姉から「実は本人は2年前から知らされていたようで
一切の治療を断っているので覚悟の入院のようだよ」と
聞いて胸が苦しくなりました。
2年前兄が車椅子生活を送っていると聞いてびっくりして手紙を書きました。
そんな私に兄から[電話]で「少しずつ良くなっているから心配しないように」
歩きすぎて弱っただけだからとそう聞いていたのに・・・
私たち姉妹には知らせるなと義姉には言っていたそうです。
義姉もつらかったでしょうね。
二人の姉が見舞ったときもこんな姿を見せたくなかったと言っていたと
聞いて、私も治療が落ち着いたら行ってみたいと心は焦っていますが
毎日電話の呼び出し音にドキッとして・・・
そんな思いで過ごしています。





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